関西汽船はダイヤモンドフェリーとの統合で2011年に解散しました。関西汽船の航路は次の2社に受け継がれ、現在も運航されています。 大阪‐別府航路 株式会社商船三井さんふらわあ  小倉-松山航路 松山・小倉フェリー株式会社 当サイトは、上記2社との関係はなく、関西汽船の歴史を受け継ぐために愛好家によって運営されています


関西汽船の沿革


明治

  • 1884年
    • 5月
      • 大阪商船、瀬戸内航路を主として運航していた55名の船主が、93隻の船舶を現物出資する形で発足。
  • 1907年
    • 大阪商船の内航部門を内航部に昇格。
  • 1912年
    • 5月
      • 28日 – 別府温泉の観光開発を目的とした1,000トン級のドイツ製客船
        初代「紅丸」が阪神 – 別府航路に就航。本船就航に伴い隔日運航を始める

大正

  • 1916年
    • 12月
      • 別府港に大阪商船の専用桟橋を設置し、汽船が接岸できるようになる。
  • 1921年
    •  阪神 – 別府航路用として最初に竣工した客船「紫丸」が就航
  • 1923年
    • 「屋島丸」就航、阪神 – 別府航路を毎日1便制とする。
  • 1924年
    • 2代目「紅丸」就航。同社初のディーゼルエンジン船となる。

昭和

  • 1929年
    • 「菫丸」就航
      昼夜2便体制とする。
  • 1934年
    • 「に志き丸」が阪神 – 別府航路に就航。
  • 1936年
    • 「こがね丸」が阪神 – 別府航路に就航。
  • 1942年
    • 5月
      • 4日 – 大阪商船の内航部を分離し、宇和島運輸・摂陽汽船・尼崎汽船部・土佐商船・阿波国共同汽船・住友鉱業(現・住友金属鉱山)と共同で関西汽船を設立。
  • 1943年
    • 7月
      • 15日 – 「浦戸丸」(1326トン)が愛媛県高浜港から大阪港へ向かう途中、北条町(現松山市)の沖合で貨物船と衝突して沈没。死者・行方不明者200人以上。
  • 1945年
    • 5月
      • 戦況の悪化に伴い定期運航を休止。
    • 10月
      • 7日 – 臨時的に運航を再開、大阪発の再開第1号船「室戸丸」が西宮沖で機雷に接触し沈没。
  • 1946年
      • 定期運航を再開。
  • 1948年
    • 1月
      • 28日 – 阪神 – 多度津航路の女王丸が、瀬戸内海牛窓沖で機雷に触れ沈没。死者・行方不明者183人(女王丸遭難事件)。
  • 1948年
    • 関西汽船設立時に参画した各社へ出資還元され、各社が資本離脱する。
  • 1951年
    • 阪神 – 沖縄航路を開設。
    • 阪神 – 沖縄航路に「新興丸」が就航
  • 1960年
    • 3代目「くれない丸」が僚船の同型船3代目「むらさき丸」と共に阪神 – 松山 – 別府航路に就航。
  • 1962年
    • わかば丸」(「おとわ丸」を改装)が修学旅行専用船として阪神 – 別府航路に就航
  • 1963年
    • 「すみれ丸」「こはく丸」就航
  • 1964年
    • 「ふたば丸」(「舞子丸」を改装)が就航
  • 1965年
    • 8月
      • 2日 – 大阪から高松へ向かっていた「山水丸」が小豆島沖合でエンジンのシャフトが折れて航行不能になる。付近を航行中の「すみれ丸」に乗客170人を移乗させる措置がなされた[8]。
  • 1967年
    • 7月
      • 阪神 – 今治 – 松山 – 別府航路に旅客船「あいぼり丸」が就航。
    • 8月
      • 阪神 – 今治 – 松山 – 別府航路に旅客船「こばると丸」が就航
  • 1969年
    • 11月
      • 加藤汽船と共同で神戸 – 高松航路「ジャンボフェリー」を開設。
      • 神戸 – 高松航路に第1船「六甲丸」(初代)が就航
  • 1970年
    • 9月
      • 神戸 – 高松航路に第2船「生駒丸」(初代)が就航
  • 1971年
    • 3月
      • 阪神 – 今治 – 松山 – 別府航路にフェリー化第1船「ゆふ」が就航[6]。
    • 6月
      • 阪神 – 今治 – 松山 – 別府航路にフェリー化第2船「まや」が就航[6]。
    • 8月
      • 阪神 – 奄美 – 那覇航路にRORO型貨客船第1船「黒潮丸」が就航
      • 共同汽船・共正汽船と共同で阪神 – 徳島間に徳島阪神フェリーを設立。
    • 10月
      • 「おとわ丸」が就航
  • 1973年
    • 3月
      • 神戸 – 日向航路を開設。
      • 神戸 – 日南航路に「にちなん丸」が就航
    • 6月
      • 阪神 – 奄美 – 那覇航路にRORO型貨客船第2船「若潮丸」が就航。
    • 8月
      • 大阪高知特急フェリーの「とさ」を用船。
      • はやとも丸」に改名の上、小倉 – 松山航路に就航
  • 1974年
    • 1月
      • 3日 – 不採算航路整理のため、阪神 – 奄美航路を休止。
  • 1975年
    • 2月
      • 26日 – 近海・外航部門を独立して関汽外航(現・関西ライン)を設立。
        関西汽船は内航部門に専念。
  • 1978年
    • 3月
      • 商船三井より「いせ丸」を用船。(後に来島どっくに売船の上用船。)
        「くろしお」(後に「フェリーくろしお」)に改名の上、阪神 – 奄美 – 那覇航路に就航。同航路をフェリー化する。
    • 7月
      • 経営再建のため、来島どっくが関西汽船の筆頭株主になる。
  • 1979年
    • 6月
      • 「若潮丸」をクルーズ客船に改造し、「さんふらわあ7」に改名。
        (同社初の「さんふらわあ」塗装)
  • 1980年
    • 11月
      • 来島どっくより 「フェリーこがね丸」を用船、阪神 – 別府航路に就航。
    • 12月
      • 来島どっくより 「フェリーにしき丸」を用船、阪神 – 別府航路に就航。
  • 1982年
    • 4月
      • 日本高速フェリー・日本カーフェリーとともに船腹調整案に合意。
        神戸 – 日向航路を休止とする。
    • 2月
      • 引退した大阪高知特急フェリーの「フェリーかつら」を用船。
        小倉 – 松山航路に投入し、デイリーサービス化する。
    • 11月
      • 神戸 – 日向航路を廃止。「にちなん丸」は来島どっくに売却。
        改装の上、室戸汽船に「フェリーむろと」(2代)として用船。
    • 12月
      • 室戸汽船よりフェリーむろと(初代)を用船。
        「くるしま丸」に改名のうえ小倉 – 松山航路に就航。
      • 「くるしま丸」就航に伴い、「フェリーかつら」の用船を解除。
  • 1983年
    • 6月
      • 来島どっくより 「クイーンコーラル2」を用船、阪神 – 今治 – 松山 – 別府航路に就航。
      • 「クイーンコーラル2」就航に伴い「ゆふ丸」は係船。
  • 1984年
    • 1月
      • 来島どっくより 「くるしま7」(元「黒潮丸」をフェリー化)を用船し、阪神 – 今治 – 松山 – 別府航路に就航。
      • 「クイーンコーラル2」を「くいーんふらわあ2」に改名。
      • 「まや丸」を阪神 – 小豆島 – 高松航路に転配。
    • 12月 – 来島どっくより 「さんふらわあ」「さんふらわあ2」を用船し、阪神 – 別府航路に就航。
  • 1987年
    • 3月
      • 前年に経営危機が表面化した来島どっくが、関西汽船の経営から撤退することを表明。
    • 4月
      • 加藤汽船と共同で阪神 – 高松航路「ジェットライン」を開設。
      • ジェットフォイル「ジェット7」「ジェット8」が就航。
      • 小倉 – 松山航路に「フェリーくるしま」が就航。
        「フェリーくるしま」就航に伴い「くるしま丸」は用船解除のうえ、室戸汽船に変船。
    • 9月
      • 小倉 – 松山航路に「フェリーはやとも2」が就航。
        「はやとも丸」は用船解除、引退。

平成

  • 1990年
    • 6月
      • 神戸 – 高松航路に「六甲丸」(2代目)が就航。
    • 7月
      • 大阪商船三井船舶(現・商船三井)が、来島グループだった関西汽船、ダイヤモンドフェリー、室戸汽船に資本参加し傘下におさめる。
    • 11月
      • 「さんふらわあ」「さんふらわあ2」「くいーんふらわあ2」「くるしま7」「フェリーくろしお」を、来島興産(来島どっくの債務管理会社)より22億5,000万円で購入。
      • 神戸 – 高松航路(ジャンボフェリー)に「生駒丸」(2代目)が就航。
  • 1991年
    • 3月
      • 阪神 – 高松航路(ジェットライン)が1隻運航に減便となる。
      • 小豆島寄港を開始する。
    • 8月
      • 「くいーんふらわあ2」と室戸汽船の「フェリーむろと」(3代)が神戸沖で衝突。11人負傷。
  • 1992年
    • 8月
      • 阪神 – 松山 – 別府航路に「さんふらわあ こがね」が就航
        同航路には、12月の第2船就航まで「フェリーコスモ」が用船され、1日3便の同航路がすべてフェリー化される。
    • 12月
      • 阪神 – 松山 – 別府航路に「さんふらわあ にしき」が就航
  • 1995年
    • 1月
      • 阪神・淡路大震災により神戸港が使用不能になったため、復旧まで寄港を一時中止する。
    • 2月
      • 阪神 – 松山 – 別府航路を1日3便から2便に減便。
        阪神 – 小豆島 – 高松 – 今治 – 別府航路を廃止。これにより、長年大阪側のターミナルとして使われていた弁天ふ頭を発着する定期航路が廃止となる。
  • 1997年
    • 12月
      • 6日- 阪神 – 松山 – 別府航路に「さんふらわあ あいぼり」が就航
  • 1998年
    • 3月
      • 阪神 – 奄美 – 沖縄航路を廃止。
    • 4月
      • 8日 – 阪神 – 松山 – 別府航路に「さんふらわあ こばると」が就航
    • 4月
      • 明石海峡大橋開通に伴い、神戸 – 高松航路(ジャンボフェリー)の共同運航から撤退。徳島阪神フェリーを廃止する。
  • 2000年
    • 10月
      • 11日 – 阪神 – 小豆島 – 高松航路(ジェットライン)を廃止。
  • 2002年
    • 6月
      • 加藤汽船などとの共同出資で「高松エクスプレス」を設立し高速バス事業に参入。
    • 8月
      • 5日 – 「たかなんフットバス号」の愛称でなんば – 高松間で高速バスの運行を開始(南海バスと共同運行)。
  • 2003年
    • 4月
      • 1日 – ダイヤモンドフェリーと大分 – 松山 – 神戸間の一部共同運航を開始。
        当初の共同運航区間は、
        関西汽船の阪神 – 松山 – 別府航路(上り便)の大分→神戸間のみであった。また、関西汽船の阪神 – 松山 – 別府航路の神戸発着埠頭は、下り便が中突堤、上り便が六甲アイランドフェリーターミナルとなった。
        また大阪発着埠頭も、かもめ埠頭から南港フェリーターミナルに変更される。
  • 2005年
    • 4月
      • 1日 – ダイヤモンドフェリーと「フェリーさんふらわあ共同営業センター」を設立。各種割引の相互利用が可能になる。
    • 9月
      • 15日 – 阪神 – 松山 – 別府航路(下り便)の神戸発着埠頭を、神戸ポートターミナルに移転。
    • 10月
      • 1日 – 燃料油価格変動調整金を設定。
  • 2006年
    • 3月
      • 「フェリーさんふらわあ」共通の会員制度「瀬戸内海倶楽部」開始。
    • 10月
      • 1日 – 燃料油価格変動調整金を変更。阪神 – 別府航路の到着地入港時刻を6:20から6:30に10分繰り下げるダイヤ改定を実施。
    • 10月
      • 10日 – 大分港が新ターミナルに移転する。
  • 2007年
    • 7月
      • 9日 – 「さんふらわあ こばると」が松山市沖でタンカーと衝突。「さんふらわあ こばると」の左舷に亀裂が入り、修理のため1週間欠航となる。
    • 11月
      • 21日 – ダイヤモンドフェリーの新造船「さんふらわあ ごーるど」が、阪神 – 別府航路(下り直行便・上り寄港便)に就航。「さんふらわあ こがね」がダイヤモンドフェリー中九州航路に転配。
  • 2008年
    • 1月
      • 16日 – 中九州航路寄港便の大分側発着港を大分に変更し、今治への寄港を開始。これにより、別府港を発着するのは直行便のみとなる。
        また、神戸港の発着場所を六甲アイランドフェリーターミナルに集約。
    • 7月
      • 8日 – 大阪南港の発着埠頭を、南港フェリーターミナルからアジア太平洋トレードセンターに移転、「南港コスモフェリーターミナル」とする[12]。
  • 2009年
    • 3月
      • 18日 – 商船三井による株式公開買付け (TOB) の実施が発表され、関西汽船が同意。同年4月13日、商船三井に対して第三者割当増資を実施し同社の連結子会社(株式保有比率は63.88%)となる。同月27日、TOBが成立(同社の株式保有比率は89.11%)。株主優待割引乗船券(40%割引)は3月末発行分をもって廃止。
    • 6月
      • 1日 – 寄港便の今治・神戸寄港が無くなる。また寄港便の上り便の到着港が、南港フェリーターミナルに戻る(出航は南港コスモフェリーターミナルのまま)。
    • 9月
      • 25日 – 種類株式発行会社への定款変更を行い、普通株式への全部取得条項の付与、747万株をA種種類株式1株への引換(少数株主は端数として現金化)を実施(スクイーズアウト)。これにより商船三井の完全子会社となる。なお、この措置に先立つ同月16日には株式上場が廃止されている。
    • 10月
      • 23日 – 商船三井が完全子会社のダイヤモンドフェリー株とあわせて株式移転を実施し、親会社のフェリーさんふらわあを設立。同社の完全子会社となり経営統合する。
  • 2010年
    • 2月
      • 1日 – ダイヤモンドフェリーと共同運航の寄港便を廃止。大阪 – 別府航路の大阪行のみ松山経由となる。
  • 2011年
    • 4月
      • 30日 – 大阪 – 別府航路、大阪行の松山寄港を取りやめ。
  • 2011年
    • 10月
      • 1日 – ダイヤモンドフェリーとともにフェリーさんふらわあに合併し解散。